三つ目の選択肢
2
「…久しぶりだなぁ」
パンドーラ城の城門を潜り抜けたランディは、城を見上げてそう呟いた。
確かパンドーラを訪れるのは、あの戦いの後、プリムを見送って以来ではないか。
今日、ランディはポトス村の納税書を王に献上する為にやってきた。
ひょこひょこと城内に入り、ごく自然に辺りを見渡す。
周囲は着飾った女性達に、紳士、そしてパンドーラの一般兵で賑わっている。
ポトス村とは大違いで、華やかだなぁ。
そう感心しながら、城内を眺めていたランディだが、突然足を止めた。
ドッドッドッ、と心臓が大きく音をたてる。
少しの間、一点を凝視したまま固まっていたランディだが、すぐに早歩きで王の下へと歩き始めた。
早く用事を済ませ、一刻も早くパンドーラを後にしたかったのだ。
無事、責務を果たしたランディは、逃げるように駆け出し、街を飛び出した。
走って、走って。
パンドーラが見えなくなった辺りで、漸く走ることをやめ、乱れた呼吸を整えようとした。
見てしまった。
あの人とプリムを見てしまった。
羨望の塊のようなあの人の横で、寄り添うように微笑むプリム。
あんなプリムの顔、ランディはこれまで見たことなかった。
ランディの知るプリムではなかった。
ランディは膝をかかえて座り込み、前髪をぐしゃりと握り締めた。
「・・・見たく、なかった」
いつものようにプリムがポトス村を訪れると、そこにいるはずの人物が見当たらず、プリムは首を傾げた。
この時間帯であれば、必ずといっていい程、ランディは村で畑仕事の手伝いをしているのに、とプリムは辺りをキョロキョロした。
村をうろうろしてみたが、やはりランディの姿はなかった為、恰幅のよい少年に声をかけた。
「ねぇ、君!ランディ知らない?」
「なんだ、あんたか」
恰幅のよい少年は、プリムの姿を見て面倒そうに口を開いた。
そして、大きく首を横にふり、こう告げた。
「あいつならいないぜ」
「そうみたいね。で、どこに行ったの?水の神殿とか?」
「ばーか、村にいないって言ってるんだよ!」
「えっ!?」
驚くプリムを愉快そうに眺めながら、少年は続けた。
「何にもしらないのかよ。ランディのやつ、村を出て行ったぜ?」
「いつ!?どこに!?何で!?!?」
プリムは少年を掴んで詰め寄った。
少年は嫌そうにプリムの腕を払う。
「ほんの最近の話さ。タスマニカの騎士様になるんだとよ。理由なんて知らないね!まぁあいつ、もともとよそ者だし俺らには関係ねぇけどな」
少年の言葉に、プリムは呆然と立ちすくんだ。
「どうして?何で?」ばかりが頭の中をぐるぐるしている。
だって、私何にも聞いていない。
私、何も聞かされていないよランディ。
突如、消失感におそわれる。
危惧していたことが起きてしまったのだ。
ランディは、プリムの前から姿を消してしまった。
それもあまりにも突然に。
何とも言いがたい消失感に愕然とするプリムは、ある一つの事実に気づいてしまい、思わず「どうしよう」と呟いてしまった。
プリムはずっと、ランディには自分しかいない、そう思っていたのに、実は違っていたのかもしれない。
いや、違ってはいないのかもしれないが、自分は大きな勘違いをしていたのではないか、とプリムは思う。
プリム自身もランディを必要としていたのだ。
だから、今現在どうしようもない消失感にかられている。
何だか体の一部がぽっかりなくなったみたいだった。
とぼとぼとパンドーラに戻ってきたプリムは、偶然親友のパメラと出くわし、すがるようにパメラを見た。
その表情に驚いたパメラは、「どうしたの?」とプリムの背に触れる。
プリムは小さく口を空け、先ほど聞いた話をパメラに告げた。
頷きながらプリムの話に耳を傾けているパメラの姿をみながら、プリムは「パメラがいてくれてよかった」と心から感じた。
もし、これがディラックであれば彼にひどい醜態を見せ、彼を心配させたことだろう。
暫くディラックが仕事でパンドーラを離れることを思いだし、プリムは苦笑した。
今日、ディラックが仕事でパンドーラにいなくて本当に良かった。
パメラと話しをし、きっとランディにも何かしらの理由があってのことだろう、という結論に至り、暫くは大人しくランディからの便りを待つことにした。
しかし、いくら待ってもランディから便りが来ることはなかった。
がやがやと賑わう城下町の一角に、ランディはいた。
タスマニカ騎士団に入団したランディだが、赴任一日目は顔合わせ程度で終わり、まだ日が落ちていないが、これからランディの歓迎会が執り行われるところであった。
騎士団の歓迎会は堅苦しいものではなく、あっという間に各々に酒が振舞われ始めた。
隣にいる騎士から酒を勧められたランディは、慌てて手を振って断りを入れた。
「17になったばかりなので、お酒はちょっと・・・」
「何言ってるんだよ!ここじゃあ、16から飲酒できるんだぜ?ほら、かんぱーい!」
トクトクとグラスに注がれたビールを悩ましげに見つめる。
心の中で弱音を吐きながらも、ランディは覚悟を決め、グラスに口をつけた。
初めてのお酒はお世辞にも美味しいとは思えなかったが、酒の席で楽しそうに振舞うみんなを見ていると、何だかこれも悪くないかもしれない、と思った。
そのまま勧められるがままに、グラスに口をつけていると、体がふわふわしてきた。
そんなランディを確認し、同僚たちは聖剣の勇者という肩書きを持つ異色の新人にいたずらっぽく質問し始めた。
「…要約すると、こういうことか?つまり、女にフラれてタスマニカに逃げてきた、と」
「ちがいます〜フラれてなんかいませんよ〜」
完全に酔っ払いと化したランディはグラスを片手にテーブルに頬をくっつけている。
「…僕は、身を引いたんです〜だからフラれてません!」
ランディを取り囲む同僚たちは愉快そうにランディを眺めている。
「彼氏持ちなんだろ?だったら身を引くも何も初めっから終わってるんだよ。悪いことは言わん、さっさと忘れるこった」
「そんなに簡単に忘れられるんなら、僕はここにいないです・・・だって、だって、初めてなんですから…」
ぶはっ、と同僚の一人がランディの台詞にむせ混んだ。
「お前、初恋!?その歳で?」
可愛い奴だなぁ、とその同僚はランディの髪をがしがしと乱暴に撫でた。
ランディは鬱陶しそうにその手を払い、ぼんやりとグラスの中の淡い黄色の液体を眺める。
「…初めて、好きになったんだ…」
ランディのか細い呟きは、賑やかなこの酒場にかき消された。
「止めとけ止めとけ。初恋だから変に美化されてるんだろ。女はその子だけじゃないぜ?なぁ、みんな。そうだ、場所を変えて飲もう!」
男はそう言うと、テーブルにへばり付くランディを強引に回収し酒場を出た。
連れられた店に入れられ、席に座らせられた所でランディは正気に戻った。
いや、戻らされたという方が正しい。
これでもかというくらいに着飾った華やかな女性達。
そんな女性に両脇を固められて、ランディは文字通り固まってしまった。
目のやり場に困る格好の女性を横に、冷や汗が流れる。
こんなつもりではなかったのに、と心の中で叫んだもののどうにもならず途方にくれた。
部屋中に広がるアルコールの匂いに混じって女性達が身に着けている香水のきつい香りがランディの意識をさらに現実に引き戻す。
あまりいい香りじゃない、頭がくらくらする。
そういえば、プリムもよく香水をつけていたな、とランディはむせ返るような匂いを嗅いで、かの人を思い出していた。
淑女の嗜みよ、と彼女は言い、戦いのさなかでも香水をつけることを忘れなかった。
不思議と、プリムから香る香水の匂いは不快ではなかった。
そこまで考えたところで、ランディは我にかえり、眉間に皺を寄せた。
嫌だな、忘れようとしているのに、こんなところまで来て思い出してしまうんだから。
ランディは、邪念を振り払うかのように、注がれた水を一気飲みしたのだ。
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