さよならは言わない


3


男は口元が裂けそうな程、笑った。
目の前には、自身が放った刃で腹部を貫通させ、立ちすくむランディがいる。

「…あはははは!やったぞ!これでボクに適う奴なんてこの世に存在しない!」

男が両手を広げて高らかに笑うと、それに反応したかのようにランディの右手が動き、自分の体を貫いている刃に触れた。

男はランディがまだ生きていることに驚き、緩んだ口元を引き締める。

ランディは大きく肩を上下させ、呼吸を調えようとして、咳き込んだ。 同時に口内から血が溢れ出てきた為、左手で血を拭う。

「君、しぶといね。けど、もう虫の息じゃないか。大人しくボクに殺されてよ」

ランディは右手で男の刃を強く握りしめ、左手で剣をとり、男を見た。

その瞳に男の背筋が凍る。
男を見つめるランディの瞳は、死ぬ間際の人間によく似合う焦点の合わない濁った瞳だ。
なのに何故、恐怖を感じるのだろうか。

ぶるりと身震いして、男は再びランディに刃を向けようとして、漸く異変に気づく。
刃が体から出ない上、ランディを刺し通している刃も動かすことが出来ない。

「…!何をしたんだ!?」
「……ちょっと、闇の力を封じただけだ。直接刃に触れ、お前の動きを止めるにはこれしかないと思った…」
「…肉を切らせて骨をたつってやつか」
なるほど、だからわざと挑発して攻撃を一点に絞らせたわけか、と男は思った。

ランディは荒く呼吸し、男を見て小さく笑った。

「だから、言っただろ…?お前を倒すのに聖剣は必要ないって」
ランディは剣を握りしめる。


「…さよなら」
そう呟いて、ランディは剣を男目掛けて投げた。
剣は男の喉元に命中し、男は呆気なく絶命した。

するとランディに刺さっていた刃がまるで砂のように溶け出し、終いには黒い煙となって消えた。
傷を塞いでいたものがなくなったことで、じわじわと血が溢れ出し、服を赤黒く染め始める。
ランディは膝を折り、がくりと壁に体をもたれた。

「……いてて」
ランディは傷口を手で抑えつつ、出血の具合を見た。
染みは太もも付近まで広がっている。
(上手く急所は外したんだけどなぁ………人ってどれくらい血が流れたら死ぬんだったっけ?)
床に染みを作り始めた血を眺めながら、ランディはぼんやりとそんなことを考えた。


助けは来ない。
なぜなら自分が戻らない限り、何人たりとも遺跡に入れないからだ。

目を閉じると、静かに眠るプリムの寝顔と。
生きて帰ってきなさいというエルマンの顔が浮かんだ。

遺跡を出ようと試みたものの、体が鉛のように重く、とても動けそうになかった。
微かに光る出口を見つめる。

「…すみません、約束、守れなさそうです」



プリムは遺跡の前で、毛布にくるまりランディの帰りを待っていた。
横にはプリムを見張る兵士の姿があり、パチパチと灯している松明が音をたてている。
時間だけが過ぎゆき、そろそろ日付が変わる頃にさしかかろうとしていた。

その時、プリムの頭の中で声がした。
耳を塞ぎ、頭の声に集中すると、その声は段々クリアになってくる。

『…プリム、聞こえるか?わしじゃ、聞こえるか?』

「ルカ様!?」

プリムは勢いよく立ち上がった。

『安心せい、邪悪な気配は消え去った。恐らくランディが倒したのだろう』
「本当ですか!?」
プリムは大喜びではしゃぎ、兵士達にもう大丈夫、ランディがやったのだ、と嬉しそうに叫び始めた。
が、プリムを呼ぶルカの声にふと我に返る。
「すみませんルカ様、ついはしゃいじゃった」
『…プリム』
「何ですか?」
『…落ち着いて聞くのじゃ。確かに邪悪な気配は消えたが……ランディの気配も感じられないのだ』
その言葉にプリムから表情という表情が消えた。
そして小さく横に首を振ると、遺跡に向かって走り出した。
走るプリムの頭の中でルカの叫ぶ声が聞こえた。

『落ち着かんか、プリム!まだそうと決まった訳ではない!わしが気配を感じられぬほどの状態かもしれん!』

ランディッ!

プリムは全速力で階段を駆け上がり、祭壇の扉を脚で蹴り開けた。

プリムの目に飛び込んできたのは、無惨な姿で横たわる見知らぬ男の姿だった。
一つ息を吐いて、ランディを探した。

目線を横にすると、そこにランディはいた。
壁にもたれ、体を折り込むようにして座っている。

「ランディ!!!!!」
プリムは駆け寄って、異変に気づいた。
祭壇の間は暗く、遠目には気づかなかったが、ランディは血まみれだった。
腹部から下半身、そして床まで血がついている。

プリムはランディの名を呼びながら、彼の体を抱え抱きしめ、息をのんだ。
抱き締めるランディの体が冷たいのだ。
よく感触を確かめてみれば、触れる血液も凝固し始めている。
ランディがこうなって一体どれだけの時間が経ったのだろうか。


「ランディ、ランディ……」
泣きじゃくりながら、プリムは両手でランディの顔に触れた。
「嫌だよぉ、目を開けてよぉ………こんなのってないよ…」
プリムはランディの首もとにしがみついて、ランディの頬に自分の頬を重ねた。

プリムの背後から慌ただしい音がし、待機していた兵士達が駆けつける。
兵士とクリスはランディの姿に言葉を失ったが、すぐにランディにしがみついて離れようとしないプリムを引きはがそうとプリムに触れた。
プリムは俯いて首を振るだけでランディから離れようとしない。
無理やり数人の兵士がプリムを持ち上げ、別の兵士がランディに近づき、ランディの胸に耳を寄せ、手で首もとの脈に触れる。


泣き崩れるプリムに、兵士が声を張り上げた。

「生きています!!!!まだ微かに脈があります!!!!!」

その言葉に今度は別の兵士が声をあげた。

「一隊はすぐに戻り処置の準備を進めろ!医療部隊は応急処置を急げ!」

鶴の一声のように、その場にいる兵たちは各々最善の力を尽くそうと動き始めた。


その光景をぼんやり眺めながら、プリムは一歩づつランディに歩み寄る。
そして、ランディの指がピクリと動き、閉じたままの瞼が微かに揺れたのを見た。
駆け寄り、その手を握ってランディの名を呼び続けた。


ランディは冷え切った意識の中、体中の血液が一気に逆流するかのような感覚に、一度は手放した意識を呼び戻された。
重たい瞼をゆっくり開けると、白黒の世界にプリムの姿を見た。
大粒の涙を流すプリムを見て、ランディは困惑し、本当に困った顔をしてみせた。

「…何…で…こんなところ…に」


どうして追いかけて来たんだ、プリム。
こうなることが予想できたから君を遠くに置いてきたのに。
こんな死にかけの姿なんて、血まみれの姿なんて絶対見せたくなかったのに。
どうして君はー

ランディは懸命に言葉を紡ごうとしたが、叶わずに再び瞼を閉じた。




次にランディが目を開けると、白い天井が目に入った。
体を動かそうとすると、腹部がズキリと痛んだ。
あぁ、僕はまだ生きているのか、とランディは自分が無事であることを知った。
そして自分の手が誰かに触れられている感覚を感じ、目線を手のひらに持って行くと、安らかに眠りについているプリムがそこにいた。

繋がれている手のひらの温かさに、ランディは瞳を潤ませた。



「まさかジェマの隣で入院する事になるとは思わなかったよ」
「それはこっちの台詞だ」
仲良くベッドに横になり、笑いあうランディとジェマ。
その様子を可笑しそうに見るクリス。

ランディが目を覚ましてから、一週間が過ぎようとしていた。
始めは個室だったが、体力の回復と共に昨日からジェマと同室になっている。


「しかしお前の怪我が、腹に穴が空いた程度で済んだのが未だに信じられん。あの禍々しい闇の力を受けたというのに…」
ランディは出血多量で生死をさまよったが、怪我そのものは適切な処置を施せば命に関わるものではなかった。
心配されたのは、男の闇の力を生身で受けたことだった。
兵士の中に、その力で軽く攻撃を受けたものがいたが、傷口が黒く腐食した上、何日も昏睡状態が続いたという。

「それは、僕がマナの種族だったからだよ」
ランディはにこりと笑った。
「マナの種族は精霊の血を引いているから、闇の力を封じられる力を持っているんだ」
「なるほど、そういうことか!」
「だからランディはそんな無茶な戦い方したのね、本当に心臓に悪いんだから!」
クリスがもう!、とランディの頭を軽く小突く。反省の色を見せないランディだからこそ、小突きたくもなった。

「でもさ、やっぱり聖剣は正しかった。今回の敵は聖剣の力じゃなくてマナの種族の力が必要だったんだ」
ランディは確認するように頷き、ジェマとクリスに顔を向ける。
まだ少し不満げな表情を浮かべているクリスに、ランディは微笑みかけた。
「そんなに怒らないでよクリス。結果的に全員無事だったんだ、良かったじゃないか!」


「良くない」


その声にランディは固まった。

「全然良くないんだから!」

見舞いにきたプリムが整った顔をひきつらせてやってきた。
綺麗な人ほど怒ると迫力が増す。

「どれだけ心配したと思ってるの!?血まみれで冷たいランディを前に、私がどんな気持ちになったか分かる!?…どうにかなりそうだった」
本当ならランディの顔を思いっきりひっぱたいて、胸を叩き抗議したかったが、さすがにそれは躊躇われた。

「………生きた心地がしなかった…」

プリムの声はかすれていた。

じっとプリムを見上げていたランディは、ふいと顔をプリムからそらし、口を尖らせた。
「…だから置いてきたのに…何でよりによってあのタイミングで来るんだよ…」
「あんたが無理やり私を遠ざけたりするから!」
「僕は間違ってない」
ランディがぴしゃりと言い放つ。

「もしプリムがいたら最悪二人とも命はなかったかもしれない」
ランディの言葉にプリムは自身の言葉をぐっと飲み込んだ。
確かに魔法が使えれば話は別だが、今回に関しては自分は足手まといでしかなかった。
万が一自分が人質にでもされたら、ランディは自分を犠牲にしただろう。
相手にとってプリムはランディの弱点にしかなれない。

唇を噛みしめたまま、睨むようにランディを見つめるプリムの姿に、ランディの心は痛み、申し訳ないという気持ちになった。

「…プリムに嫌な思いをさせてしまったことは、悪いと思ってる、ごめん…でも、連れて行かなかったことについては、僕が正しかったと思う」
依然、今回の無茶な戦いぶりに関しては、反省したり、悪ぶれる様子がないランディ。
そんなランディを前にして、プリムはベッド脇にしゃがみ込み、無理やりランディの手を握った。
プリムは、ランディと自分の腕の上に顔を埋め、しばらく無言のままそうしていた。

ランディがプリムに声をかけようとしたその瞬間。


プリムが口を開いた。


「…だったら、もう少し自分を大切にして…お願いだから、自分を大事にしてよ…………」


プリムの言葉にランディは目を丸くし、少し眉をひそめて唇を噛み締める。



そして返事の代わりに、反対の手でプリムの頭を優しく撫でた。

◇back◇

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