プリムラ


前編


ランディがタスマニカの騎士になって早二年が過ぎようとしていた。
年の頃ももうすぐ19を向かえようとしており、もう少年の面影はない。

ランディは休暇や、マナの調査でタスマニカを離れる際には決まってパンドーラに身を置いた。
そして今回も調査の為、暫くタスマニカを留守にしたランディは、いつものようにパンドーラに向かったのだ。

パンドーラの城下町をランディが歩くと、街の女性たちがひそひそと声を立て始める。

「見て、ランディ様よ!本当に凛々しくなったわよね」
「だってあの若さでもうタスマニカ騎士団の団長を任されているんだもの!当然よ」
「ねぇ、知ってる?ランディ様とプリム様の噂…」
「!知ってるわ!あれって本当の話なの!?」
「…本当なんじゃない?だって毎回パンドーラに滞在するし、二人一緒にいるところなんてよく目にする光景だし…?」

そう言って女性達は、もう一度ランディに目をやる。

噂の人物であるランディは、まさか自分が噂されているとはつゆ知らず、意気揚々と、もう一人の噂話の相手の家へと向かった。


「まぁ、ランディ様!お嬢様がお待ちかねでございますよ」

ランディがプリムを尋ねることは、屋敷の者にとっては最早日常茶飯事なようなものであった。
ランディは重たい荷物を預けると、プリムが待つ二階へと足を運ぶ。
以前であれば一階の客間に通されていたのだから、二人とこの家が親密になったことを物語っていた。

二人は他愛もない話をして、離れていた時間を補う。

想いが通じ合って一年以上過ぎたけれど、再会する時の何ともいえない気恥ずかしさは消えない。
逆に中々会えないからこそ、こういう気恥ずかしさも含め、新鮮味があっていいんじゃないかと、ランディを見つめてプリムは思った。

「…で、プリムは最近どうなの?手紙に習い事を始めたって書いてあったけど」
ぼんやりとランディを眺めていたプリムに、ランディはやや可笑しそうに笑って尋ねた。
「…うん、色々やってるわよ。ランディのこともあって、今は国学とか歴史関係の勉強もしてるし、武術も続けているし、あとは…」
「あとは?」

プリムが言いたくなさそうに目線をそらし、指で自分の髪を触る。
「…パメラとお料理教室に、通ってる…」

ランディは大笑いした。

「!そんなに笑うことないじゃない!」
「ごめんごめん!だってあのプリムが料理だなんて…あははは、やっぱり可笑しいや」
大笑いするランディを、プリムは顔を真っ赤にして睨んだ。
確かに自分はお嬢様ということもあり、料理の『り』の字も知らなかったし、前はそれでも構わないと思っていた。
しかしいい年頃になり、さすがにこれでは恥ずかしいと思い、パメラと料理教室に通うことにしたのだ。

「…今度、絶対に私の手料理食べさせてやるんだから!」
「えぇ?それは嬉しいけど、そんな無理しないでいいよ。毒見は勘弁だ」
「!ランディ、言ったわね!」
プリムは立ち上がりランディの頬を思いっきりつねった。
痛い痛いと声をあげるランディだが、その顔は何故か嬉しそうで、プリムはつねる手を両手に増やした。

二人の楽しそうな声に、お茶の用意してきた使用人は声をかけるタイミングを逃してしまったようで、困ったように苦笑した。





ティータイムの時間になり、パメラがプリムを訪ねてやってきた。
特に用がない限り、二人は美味しいティーセットを摘みながら楽しい一時を過ごしている。

「ランディ、変わりなかった?」
「えぇ。でもちょっと生意気になったかも」
パメラは可笑しそうに笑って、辺りをキョロキョロさせた。
「そういえばランディはどうしてるの?」
「お城にいるわよ。今朝パンドーラについたばかりで疲れてるから、夜まで部屋で休むって。で、夜は一緒にディナーの予定」
「ステキ!いいなぁ、プリムはディナーを楽しむ相手がいて」
「あら、そういうパメラこそ、最近やたらパンドーラの将校から食事に誘われてるそうじゃない?」
「私の話はいいの!」
あまり突っ込まれたくない話題のようで、パメラは早口になった。
そしてプリムの顔をじっと見つめる。

「…なぁに?」
「おじ様、反対してない?」
「それが、不気味なくらい何も言ってこないの!」

当初こそ、プリムの父エルマンはランディと会うことにいい顔をしなかったが、最近はどういう心境の変化なのか知らないが、ランディについて何も言わなくなった。
家に招いても、タスマニカの大切な客人、として迎えているところを見ると、二人の仲を認めているわけではないようではあるが。
パメラはふぅん、と呟き部屋の時計を見て、「あ!」と声をあげた。
「夜ランディと会うんでしょ?私、そろそろ帰るね」
「え?まだ日が落ちるまで時間あるし、そんなに急いで帰らなくてもいいじゃない」
いそいそと帰る支度をするパメラを引き留めるが、パメラはチッチッチッ、と指を左右に振った。
「久しぶりのディナーデートよ?思いっきり着飾って惚れ直させるのよ!」

そして「頑張ってね」と言い残し、パメラはプリムの部屋を後にした。





夜。

ランディは待ち合わせ場所であるパンドーラのレストランの入口でプリムを待っていた。
レストランの店構えと自身の服装を見て若干の冷や汗をかく。

(評判と勢いでこの店を予約しちゃったけど、僕場違いじゃないかな…大丈夫かな…)
ランディは、一応スーツと呼べそうなダークグレーのスーツを着ている。
そして外から中の様子を伺っていると、すぐ後ろから名前を呼ばれて振り返った。

振り返って、ランディは声の主であるプリムを見て、その姿に釘付けになった。

いつものポニーテールは、サイドで纏められていて。
いつも見ている顔には、美しく化粧がされてあって。
いつものパンツ姿は、濃いパープルのイブニングドレスで。

知ってはいたけれど、改めて思う。

プリムは本当に綺麗なのだと。

「…もしかして私、張り切り過ぎちゃった?」
ランディが余りにもプリムの姿を凝視するので、プリムは照れた。

ランディはぶんぶんと顔を横に振って、プリムの側にいく。
そしてエスコートするように店の扉を開け、柔らかい微笑みをプリムに向けた。

「いいのかな、こんな美人が僕の彼女で」

ランディなりの最高の褒め言葉に、プリムは口角を上げて貴族の令嬢らしい笑みをうかべた。

店内に入り、席に案内されたところで、ランディはひとりホッと胸をなで下ろす。
店にいる客は、スーツやドレスを身にまとっており、漂う雰囲気も高級感に溢れていた。

誰にも気づかれないよう、ネクタイを締め直すと、こう呟いた。

「…必要ないかと思ってたけど、スーツ持ってきて良かった…」





あくる朝、いつものように政務をこなしていたエルマンにパンドーラの王はそっと近づく。

「エルマン、お前の娘はいくつであったかのう?」
「…?プリムのことでしょうか?あれは今年で二十歳になりますが、それが何か…?」

王の意図が掴めず、エルマンは訝しげに顎髭に触れた。
王はゴホン、と咳払いをし、話を続ける。

「二十歳か、うむ、年頃だな」
「…はぁ」
「…エルマン、最近我が国に広まっている噂をしっているか?何でもあのランディとお前の娘が恋仲だとか…」

そこまで聞いて、エルマンは目の前が真っ暗になり、瞼を抑えた。

「しかもだな、昨夜は仲むつまじく二人で食事をしているところを配下の者が見かけたそうじゃ!」
エルマンは、はぁ、とだけ答えた。
「事実なのか!?二人は本当に恋仲なのか!?ええい、答えんかエルマン!!」
「…私は何も娘から聞いておりませんので」
「なんじゃと!?」

事実、プリムの口からきちんとランディとの関係を聞いたわけではない。
プリムもエルマンも、敢えてその話題には触れないようにしていた節もあった。

「これが事実であればなんとめでたい話ではないか!聖剣の勇者であるランディは今やタスマニカの騎士団長だぞ!我が国にとってもタスマニカにとってもこんなに明るい話題はない!さっさと事実を確かめ、事実ならば早々に婚約までもっていけ!」

「しかし…」
「よいな、エルマン!!」

明らかに不服そうなエルマンをよそに、王はご機嫌そうに部屋へと帰って行く。
エルマンは、頭をかかえて王への不満を口にした。

「…王も人の気も知らずに勝手なことを…」

エルマンは、ランディが気にくわなくて交際に反対しているわけではない。
寧ろ、個人的には誠実な良い青年だとすら思っている。
ただ、ランディが騎士ということ、それだけがどうしても受け入れられないのだ。
以前、プリムの結婚相手の条件としてあげていたのは、裕福であることが第一であった。
男手一つで育ててきた為、プリムには何不自由ない暮らしを与えたかった。
だが、今はプリムも社会や世界を知り、本当にたくましく育った。
何不自由なく、が理想ではあるが、生活に困らない程度であれば良いのではないか。
最近はそう思えるようになったのだ。

「よりによって、何故プリムが選んだ相手がまたも兵士なのだ…」

プリムに、娘に、もう二度と最愛の人を亡くす苦しみを味合わせたくない。
その苦しみはかつてエルマンも味わってはいるが、最愛の人の娘の存在に苦しんでばかりはいられなかった。

ランディが騎士でなければ、と考えたこともあるが、ランディ程の人物を騎士としないのは余りにも惜しい、と国を統治する大臣としては思ってしまうのだ。

そんなことをもんもんと考えて城内を歩いていると、運悪く城に滞在中のランディと鉢合わせてしまい、エルマンはしまった、と眉間に皺をよせた。

その表情を別の理由のものと勘違いしたランディは慌てて気まずそうに会釈した。
何故なら彼の隣には、エルマンの娘のプリムがいたからだ。

「パパ…」
プリムの声に、ランディの隣に自分の娘がいることをエルマンは知った。

エルマンは自分を落ち着かせるために息を吸い込むと、平然とした表情でプリムを見た。
「プリム、こんなところで何をしている?用もなく城に入ってくるなと何度も言っているだろう!」
「失礼ね、用があるからいるんじゃない!」
「プリム…!」
ランディが慌てて彼女の名を呼び首を横に振る。
そのやりとりを見て、エルマンは、王の言葉を思い出し、顔をしかめた。

「…ランディ君、いま君たちが国中で噂されてることを知っているかね?」
「噂、ですか?」
ランディは本当に心当たりがなさそうだが、パンドーラにいるプリムはすぐにその意味を察し、顔を曇らせた。
「君とプリムが恋人関係にあると国中が噂しているそうだ。私も先ほど王にまで聞かれてびっくりしたよ」
王の耳に入るほどとは夢にも思わず、ランディは赤面し、嫌な汗が背中を流れた。
「あの、その…」
「事実、ということか?」
エルマンの言葉に、ランディは顔をあげ、エルマンを見た。
エルマンは先ほどから顔を曇らせているプリムをちらりと見て、言葉を続けた。
「…娘が何も言わないものでね−」
「…事実です」
ランディが真面目な顔で答える。
そしてやや目線を下げた。
「…済みません、本来なら僕からきちんとお話するべきことなのに…」
「…君がいい加減な人物でないことは知っているし、真面目で良い青年だと、私は思っている」
予想外の言葉に、ランディとプリムは目を丸くした。
しかし、とエルマンは言う。

「私はどうしても君を認めるわけにはいかんのだ。…娘を残して先に逝く可能性がある君に娘を託すことは出来ん」


暫しの沈黙を置いて、ランディが「では…」と呟く。



「僕が、タスマニカ騎士団を辞めて、争い事とは無縁になれば、認めてくれるということですね?」

「…なっ!!!」

ランディの言葉に、エルマンだけでなくプリムも驚愕の声を上げた。

そんなプリムを腕で制して、ランディはエルマンと向き合い、小さく微笑みかけた。

「エルマンさん、僕にその資格が出来次第、改めてご挨拶に伺います。その時は…」

ランディはエルマンを真っ直ぐに見つめ、深々と頭を下げた。

「その時は、どうぞ宜しくお願いします」




パンドーラ城の客室に着くと、プリムの甲高い声が響いた。

「どうしてランディがタスマニカ騎士団を辞めなくちゃいけないの!?あんなの、パパの理不尽な言い分なんだから無視してればいいのよ!」
「そういうわけにはいかないよ」
ランディは意外にもすっきりした表情でプリムを諌めた。

「エルマンさんにとってプリムは大事な一人娘だし、いつ死ぬか分からない兵士なんかに任せられないっていう気持ちも分からなくはないんだ」
「だからって…!」
「それにね、僕だって別にどこでも良かったんだ」
「…ランディ?」
「騎士になりたくてタスマニカに行ったわけじゃないってこと。まぁ、タスマニカに興味があったのは事実だけど、ある程度のお金が稼げればどこでも良かったんだ。僕の目的はあくまでマナの調査だし、タスマニカはただの手段に過ぎない。もともと好きで剣を握っているわけじゃないし。…幻滅した?」

ランディの告白を黙って聞いていたプリムは静かに首を横に振った。

「…全然。寧ろあなたらしいって思う」
ランディは良かった、と笑った。
「でもそんなに簡単に辞められるの?騎士団長になったばかりなのに…」
「まぁ、そこはジェマに相談したりとか、根回しして上手くやるさ」

少し不安げな面もちのプリムの頭を撫でて、ランディは「大丈夫だよ」と明るく微笑んだ。

「ほら、今日はもう帰った方がいい。また明日会いにいくから」
ランディの言葉にプリムは小さく頷き、部屋のドアを開けた。
プリムが部屋の外に出たところで、ランディが「今日くらいはエルマンさんと喧嘩しないでよ」と、プリムに告げると、プリムは苦笑して頷いた。


一人きりになったランディは、少しベッドの上で足を組み、難しい顔をうかべていたが、すぐに立ち上がり、部屋を後にした。


城を出たプリムはそのまま真っ直ぐ家に帰る気分になれなくて、今日の憂さ晴らしをするためにパメラの家に寄った。
そして夕刻になってから自宅に戻ると、使用人から一通の手紙を渡された。

「え?ランディからなの?」
「えぇ。ランディ様がそれをお嬢様に渡してくれと」
「…ふーん?」
何だろう、そう不思議に思い、封を開けると、そこにはランディの字でこう書かれてあった。


『明日、朝九時に聖剣の泉に来てほしい』

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